杜氏とは

その仕事や歴史、各地域の杜氏などを紹介!

突然ですが、「とうじ」という言葉から、何を連想されますか?

当時あのとき、あんなことがあったな~
冬至:一年で、昼間がいちばん短い日
湯治温泉に入って、ゆっくり療養したい!
杜氏:「」神聖な場所にある杜の「」血縁集団?

漢字から、ぱっと推測することが難しい「杜氏」ですが、酒造りの最高責任者のことです。
由来には諸説あり、以下のような説が有力視されていますが、確定的な語源は明らかではありません。

刀自説:古代日本で、家事全般を担う女性「刀自(とじ)」が酒造りも仕事としていたが、酒造りが男性中心の仕事になった頃、読み方は引き継いだが漢字を「杜氏」とした説。

杜康説:中国には酒造りの神として「杜康(とこう)」という人物がおり、良酒を醸した者に「杜康」という氏(うじ)を授けたという伝説から、「杜康」に由来するとした説。

本記事では、杜氏の仕事や歴史、各地域の杜氏などの紹介に触れていただき、杜氏に対する興味や関心を持っていただけましたら幸いです。

1.杜氏の仕事

杜氏(とうじ)とは、酒造りにおける「最高責任者」です。
原料の選定から仕込み、発酵、搾りに至るまで、すべての工程を統括し、蔵人(くらびと)たちを束ねて指導します。
ちなみに、蔵人とは、杜氏のもとで酒造りに携わる人のことを言います。

酒造りは、発酵を促す微生物など「自然との対話」でもあり、温度や湿度、原料の状態などに応じて、繊細で迅速な判断が求められます。

また、杜氏は、「技術者」であると同時に「マネージャー」でもあります。
酒造りに必要となる原材料や設備などを管理する帳簿への記録、酒税を含む税務への対応、蔵人チームの労務や健康の管理まで担うこともあります。

「杜氏の人柄が酒の味を決める」とも言われるように、杜氏の「人となり」が酒の味わいに大きく影響するのです。

2.杜氏の歴史

「杜氏」という言葉の語源は、古代の女性管理者「刀自(とじ)」に由来するという説があります。
古代日本では、女性が酒造りを担っていたと言われていますが、酒造りが男性中心の仕事になった頃、読み方は引き継ぎながらも「杜氏」という漢字が当てられたという説です。

酒造りが男性中心の仕事になったのは、江戸時代に入ってからと言われています。農閑期の出稼ぎとして男性が酒蔵に入り、酒造りを担うようになりました。
この頃から、杜氏制度が確立されていきます。
杜氏制度の確立には、江戸幕府が米の凶作を理由として、江戸時代後期(特に天保年間)に発布した減醸令や飲酒抑制などの影響があると言われています。
市場に余った米を用いた酒造りが冬場に行われるようになったことに加え、冬場の農閑期に農民を酒造りの担い手として確保しやすかったことなどから、「寒造り」の技法の確立が求められました。
その「寒造り」を行う農民のなかから登場した「リーダー」が杜氏です。

地域ごとに技術が洗練され、やがて「杜氏集団」が形成されるようになります。杜氏集団は、技術や経験を代々受け継ぎ、独自の流派を築きました。
近代以降は、社員杜氏や蔵元杜氏といった新たな形態も登場し、現代の酒造りに多様性をもたらしています。

3.日本三大杜氏

このように、地域ごとに独自の発達を遂げた杜氏集団ですが、そのなかでも特に大きな勢力を持つと言われているのが「日本三大杜氏」です。

南部杜氏(岩手県):全国最多の杜氏数を誇り、組織的な技術継承が特徴です。
越後杜氏(新潟県):端麗辛口の酒を得意とし、全国に人材を排出しています。
丹波杜氏(兵庫県):灘の酒を支えた歴史を持ち、250年以上の伝統を誇ります。

それぞれ、少し詳しく見てみましょう。

南部杜氏(岩手県)

南部杜氏は、岩手県紫波町・花巻市石鳥谷町を拠点とする杜氏集団で、日本最大規模の杜氏組合を持っています。
酒造りが盛んになった理由としては、「寒冷な気候」、「豊かな水源」、「農閑期の出稼ぎ文化」、「技術の継承」が挙げられます。

寒冷な気候:冬の厳しい寒さが酒造りに適し、低温発酵による品質向上が可能でした。
豊かな水源:北上川流域の清冽な水が酒造りに適していました。
農閑期の出稼ぎ文化:冬場の収入源として酒造りが発展し、杜氏集団が形成されました。
技術の継承:南部藩が酒造りを奨励し、杜氏の技術が体系化されました。

これらにより、南部杜氏の酒は、硬水で仕込み特徴が活かされた、米由来の濃厚な旨味と、すっきりした後味が特徴であると言われています。

越後杜氏(新潟県)

越後杜氏は、新潟県の豪雪地帯を中心に発展し、全国に杜氏を排出してきました。
酒造りが盛んになった理由としては、「豪雪地帯の出稼ぎ文化」、「淡麗な酒質」、「技術革新」、「全国的な影響力」が挙げられます。

豪雪地帯の出稼ぎ文化:冬場の農業が困難なため、全国の酒蔵へ出稼ぎに出向きながら、杜氏集団が形成されました。
淡麗な酒質:新潟の軟水と寒冷な気候が造り出した酒質が、傾向として淡麗なことで、新潟の酒が支持されました。
技術革新:昭和初期に「新潟県醸造試験場」が設立され、杜氏の技術向上が進みました。
全国的な影響力:特に関東・中部地方を中心に杜氏集団が活躍し、越後流の酒造技術が広がりました。

これらにより、越後杜氏の酒は、淡麗で辛口、かつ、旨味もあるバランスの取れた味わいが特徴であると言われています。

丹波杜氏(兵庫県)

丹波杜氏は、兵庫県篠山市を中心に発展し、灘の酒造りを支えてきました。
酒造りが盛んになった理由には、「灘の酒造りとの関係」、「出稼ぎ文化」、「水と米の質」、「藩の政策」が挙げられます。

灘の酒造りとの関係:江戸時代から灘の酒蔵で働き、技術を磨いた杜氏が多くいました。
出稼ぎ文化:農閑期の「百日稼ぎ」として杜氏が酒造りに従事し、技術が継承されました。
水と米の質:兵庫県の良質な米と水が、酒造りに適していました。特に、酒米の王様と言われる「山田錦」は兵庫県・吉川町(現三木市)で誕生し、生産量・品質ともに兵庫県がトップを誇ると言われています。
藩の政策:篠山藩が酒造りを奨励し、杜氏の技術が発展しました。

これらにより、丹波杜氏の酒は雑味が少なく、辛口で、後味がすっきりしていることが特徴となりました。

4.その他の主な杜氏

日本三大杜氏以外にも、全国には多くの地域杜氏が存在します。
そのなかから、いくつか特徴的な杜氏集団を挙げてみます。

山内杜氏(秋田県)

山内杜氏は秋田県横手市山内地区を発祥とする杜氏集団で、寒冷地ならではの長期低温発酵技術を活かした酒造りが特徴です。
酒造りが盛んになった理由には、「冬季の出稼ぎ文化」、「豊富な水資源」、「米の生産地」、「技術の継承」、「寒冷な気候」などが挙げられます。
かつて近隣に栄えた「院内銀山」の鉱夫は山内杜氏の酒をこよなく愛し、最盛期には20を超える酒蔵があったと言われています。

冬季の出稼ぎ文化:農閑期の収入源として酒造りが定着し、多くの農民が杜氏として技術を磨いたと言われています。
豊富な水資源:この地域には「力水」と呼ばれる湧水が湧き出るなど、特に清らかな水に恵まれ、酒造りに適した環境が整っていました。
米の生産地:酒造りに欠かせない良質な米が豊富に生産されており、現代になってからも「爛漫(らんまん)酒米研究会」が設立されるなど、米造りにも熱心です。
技術の継承:大正11(1922)年に設立された「山内杜氏養成組合」が、戦時中の事業中止を経て、昭和24(1959)年に「山内村杜氏組合」として再発足、昭和34(1959)年に「山内杜氏組合」に改称し、時代に応じた人材の育成と技術向上に取り組んでいます。
寒冷な気候:低温発酵技術の進化を余儀なくした寒冷な気候が、酒の品質向上に寄与したと言われています。

能登杜氏(石川県)

能登杜氏は石川県能登半島を発祥とし、「能登流」と呼ばれ、ふくらみのある優しい味わいで、吟醸香が特徴的と言われることが多いです。
酒造りが盛んになった理由として、「農業に適さない土地」、「出稼ぎ文化」、「職業斡旋組織の存在」などが挙げられます。

農業に適さない土地:能登半島の丘陵地は耕地面積が狭いために農業に向かず、農業以外の収入源が必要とされた背景から、酒造りが発展したと言われています。
出稼ぎ文化:特に近畿地方への出稼ぎが盛んであったことが、酒造技術の発展に寄与したと言われています。
職業斡旋組織の存在:明治時代に大津に誕生した「能登屋」という職業斡旋所が、能登から近江や山城の酒蔵に杜氏や蔵人を斡旋したことも、酒造りを盛んにした要因のひとつと言われています。

但馬杜氏(兵庫県)

但馬杜氏は兵庫県北部を発祥とし、日本四大杜氏として知られています。粘り強く、慎重な気質が酒造りに活かされて、包容力を感じる、まろやかで調和の取れた酒質が魅力の一つです。
なお、酒造りが盛んになった理由としては、「冬季の出稼ぎ文化」、「近畿圏への進出」、「厳しい気候」、「杜氏の組織化」などが挙げられます。

冬季の出稼ぎ文化:但馬杜氏の発祥である兵庫県北部の冬季は雪深く、酒造りが収入源となっていました。
近畿圏への進出:現在も広く近畿圏で活躍している但馬杜氏ですが、江戸時代から、奈良や伏見などの酒造地で活躍し、技術を発展させています。
厳しい気候:厳しい冬の冷涼な気候が雑菌の繁殖を抑え、低温長期発酵に適していたため、酒の品質向上に寄与したとされています。
杜氏の組織化:「但馬杜氏組合」の存在が、組織化において重要な役割を果たしています。詳しくは「但馬杜氏とは」の「3.但馬杜氏組合とは」で紹介していますので、ぜひご一読ください。

5.改めて、杜氏とは

ここまで、杜氏の仕事や歴史、日本三大杜氏とその他の杜氏を見てきました。

改めて、杜氏とは?

どのような内容が、印象に残りましたか。

共通するのは、冬季の厳しい気候のために農業以外の収入の必要性から、「出稼ぎ文化」が定着した地域で活躍した点が挙げられます。
冬季の厳しい気候は、農業には向かない節がありましたが、酒造りには素晴らしい環境をもたらしました。そこで、粘り強く経験を積み、技術を研鑽し、それらを体系立てて継承した結果、各地域に有力な杜氏集団が生まれました。

さて、どの杜氏集団が醸す酒に興味を持ちましたか?
また、どの地域の杜氏に会いに行きたくなりましたか?

ここでは、「但馬杜氏」がイチオシです!

なぜなら、江戸時代から現代にまで継承される堅実な技術と、灘の酒を支えた経験値の高さがあるからです。
但馬杜氏とは」の記事では、より詳しい情報を紹介しています。ぜひ、その魅力を発見してください。